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東京地方裁判所 平成5年(合わ)167号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

〇  略称等

説明の便宜上、以下の記述においては、次の略称等を用いる。

1  年の記載を省略した月日だけの表示は、いずれも「平成五年」のことである。

2  個人名については、二回目から姓だけで表示する。

3  被告人及び証人の各供述については、公判廷における供述(第一二回公判以後)と公判調書中の供述部分(第一一回公判以前)とを区別せず、単に「(公判での)供述」「(公判での)証言」と表示する。

4  括弧内の甲、乙、弁、職の各番号は、証拠等関係カード記載の検察官請求分(甲、乙)、弁護人請求分及び職権分の証拠番号を示す。

第一  前提的説明

一  公訴事実

本件公訴事実は、「被告人は、A子(当二九年)を強いて姦淫しようと企て、平成五年五月六日午前四時ころ、同女を乗車させた普通乗用自動車を東京都渋谷区内の駐車場に乗り入れ、その場で降車して逃げようとする同女に対し、いきなりその背後から腕を掴み、手で口をふさぎながら同車後部座席に引きずり込んだ上、同女を座席シートに仰向けに押し倒して馬乗りになって、『静かにしろ。じたばたするな』と申し向けてその顔面を平手で殴打し、その喉元を手で押さえ付けパンティストッキングを破り取り、パンツを脱がせて下半身を裸にし、さらに『お前がおとなしくしないとお前の身体の中に俺の精子を入れてやるぞ。そうしたらお前は妊娠することになるぞ』などと申し向けるなどの暴行・脅迫を加えてその反抗を抑圧し、強いて同女を姦淫し、その際、右暴行により、同女に対し、全治約三週間を要する右眼球結膜下出血、左下腿・両側大腿皮下出血の傷害を負わせたものである」というのである。

二  争点

五月五日夜、東京都港区芝浦のディスコ「甲野」において、被告人とその友人Bが、A子(当時二九歳)のグループと知り合い、被告人とA子を含む合計五名が、翌六日午前零時過ぎころから午前三時過ぎころまでの間、同区六本木の飲食店「乙山」で飲食やゲームをし、その後、被告人がA子を乗せたトヨタライトエースワゴン(以下「被告人の車」又は「ワゴン車」という)を運転して同店を出たことは当事者間に争いがなく、関係証拠上も明らかである。しかしながら、その後の状況について、A子は、ワゴン車内で被告人に暴行・脅迫を受けて強姦され、その際に傷害を負ったと証言するのに対し、被告人は、同車内でA子と性交したが、これは合意によるものであると供述している。

したがって、本件における争点は、要するに、被告人とA子の間の性交が強姦か和姦かということであり、これとの関連で、A子の傷害の有無・程度・発生原因も問題とされ、また、A子証言と被告人供述は、強姦か和姦かという核心部分のみならず、「乙山」でのA子の行動、告訴に至るまでのA子側の対応など種々の点で大幅に食い違っているので、いずれが信用できるのかが多岐にわたって争われているところである。本件においては、A子証言と被告人供述以外に強姦か和姦かに対する判断の決め手となる証拠はないから、以下、A子証言及び被告人供述の要旨を摘示した上で、A子証言の信用性を被告人供述を含む関係証拠に照らして検討していくこととする。なお、以下、「本件」というときは、強姦か和姦かはさておいた被告人とA子の性交ないしその直前直後の行動を意味することもある。

三  A子証言の要旨

A子は、第二回、第三回、第一二回及び第一三回の各公判期日に証言しているが、その要旨は以下のとおりである。なお、証言中には、変遷している部分もあるが、ここでは最後まで維持されている証言を摘示する。

〈1〉  私は、五月五日午後九時ころ、友人のC子とその男友達(以下、二人を「C子ら」という)、勤務先のコンパニオン派遣会社の同僚D子、E子と一緒に「甲野」へ行った。同店では三角錐のようなグラスでビールを二杯飲んだが、踊ってはいない。私の適量はビール中瓶一本位である。私とC子らは、D子とE子から少し離れて座っていたが、同日午後一一時三〇分ころ、同店内で被告人とBに声を掛けられたD子が、食事に行くのであれば連れて行ってくれる人がいるからと言ってきた。C子らは帰ると言ったが、被告人らは丙川證券に勤めているようなので変なことはないだろうと思い、残りの三人でついて行くことにした。六本木の「乙山」へ行くことになり、被告人運転のワゴン車に私とC子らが、B運転のポルシェ(以下「Bの車」という)にD子とE子が乗って「甲野」を出発した。途中、JR田町駅でC子らを降ろし、同月六日午前零時過ぎに「乙山」へ着いた。

〈2〉  「乙山」では、スパゲッティやお酒を注文したが、食事をしてから、その場を盛り上げるために王様ゲーム(王様マークや数字を書いた割り箸かコースターを各自が取り、王様マークのものを取った人が特定の数字を言って命令し、その数字のものを持っていた人がその命令に従う)をした。王様になった人から命令され、テキーラとショットガンを一杯ずつ飲んだと思う(ジントニックにも少し口をつけたかもしれない)が、お酒はそんなに強くないので、途中から飲んだふりをしてテーブルの上にあったグラス等にお酒を捨てていた。みんな酔っぱらっていたので、気付かれずに捨てることができた。ゲームの中ではセックスに関する質問も出たが、ゲームなので適当にとぼけて答えた。それから王様ゲームの延長で野球拳のようなこと(負けたら服等を脱ぐか酒を飲む。以下、「野球拳」という)をした。当日は、紺色のスプリングコート、黄色のジャケット、ニットのノースリーブのワンピースという服装であったが、私が一番負けたので、ジャケット、靴、パンティストッキング(以下「パンスト」という)を脱いだ。パンストを脱ぐのは嫌だったが、ゲームだしお酒を飲むよりはいい、そこまでだと思って、ワンピースをまくらずにその上から手でずらすようにして脱いだ。脱いだパンストを手に持って振り上げたり、パンティーを脱いだりはしていない。そこで野球拳は終わり、午前三時を過ぎていたので帰ることになった。初対面の人と王様ゲームや野球拳をしたのは初めてである。車が二台あるので女性が分散して乗るという話が出て、同店へ来たときと同じ形で分乗して帰ることになった。常識的に初対面の人に送ってもらうのはまずいかなとも考えたが、D子が、自宅近くまでBの車でついて行くから大丈夫と言ってくれたし、被告人もきちんと送ってくれるだろうと思った。

〈3〉  被告人の車の助手席に乗って「乙山」を出発したが、ついてくるはずのBの車は見えなくなっていた。青山一丁目交差点に向かって走ったが、同交差点を私が住んでいる新宿方面ではなく渋谷方面に進行したので、どこへ行くのかと被告人に聞いたら、「自分の家で荷物を取ってから送る」と答えたので、おかしいと思って怖くなった。強姦されるかもしれないという不安も少しあって、逃げる機会を窺っていたが、逆上されると怖いと思い、降ろして欲しいとは言わなかった。「乙山」を出て二〇分位走り、渋谷区内で、近くにアパートのような建物がある駐車場のようなところで止まった。

〈4〉  被告人が荷物を取りに行くと言ってワゴン車から降り、少し歩いて行ったとき、逃げようと思って私も車から降りて大通りの方へ歩いた。ところが、アパートのような建物に向かって歩いていた被告人に気付かれ、車から三メートル位離れたところで、引き返してきた被告人に右腕を掴まれたので、びっくりして「キャー」と大声を上げた。腕を掴まれて車の方へ連れて行かれたので、車のすぐ近くでも大声を上げた。被告人が開けた車のスライドドアから引き上げられるように、後ろ向きで車内に引きずり込まれた。抵抗はしたが、多少酔っていたので足等に力が入らなかった。その後、手で口を塞がれ、後部前座席に浅く座って、倒されたシートに寄り掛かるような姿勢にされ、被告人は太ももから上に覆いかぶさるようにしてきた。ワンピースをへそ辺りまでまくり上げられたが、わめきながら手足をバタバタして抵抗すると、「静かにしろ」などと言われ、顎の方から顔面を一、二回平手打ちのようにされ、さらに首を長い時間絞められた。もう逃げないからやめてと言うと手を放してくれたが、その瞬間に身を乗り出してスライドドアのステップに嘔吐してしまった。その後、再び馬乗りのようになられ、パンストを破かれ、パンティーも脱がされた。その間、目をつぶって泣いていたが、足に力を入れて開かないようにして最後の抵抗をした。しかし、太ももを手拳でどんどん叩かれ、足を開かされて姦淫された。被告人は体を動かしていたが、私が泣いていると、「泣くんだったらお前の身体の中に俺の精子を入れてやる」などと言われた。五分位して被告人は離れたが、気が動転していて、射精したのかどうか分からない。

〈5〉  性交後、運転席に戻った被告人は、「さあ、君を送るよ」などと言って車を発進させた。私は泣きながら「あんたなんか訴えてやる」と言い続けた。被告人に「どうしたら許してくれるのか」などと聞かれたが、「絶対許さない。絶対訴えてやる」と言った。自宅近くの新目白通りの路上でワゴン車から降りた。その際も、被告人が「男が女を好きになったらやる行為なんだから」などと言うので、「訴えてやる」と言った。パンストを破かれてしまったため、靴を手に持って裸足で降りた。車内にマンションの鍵が入ったコートを置き忘れてきたので、D子に電話をかけて強姦されたことを話し、同日午前五時過ぎころ、タクシーでD子のマンションへ行き、シャワーを浴びて泣きながら寝た。昼前に起きて、D子と告訴のことや病院に行くことなどを話した。その後、渋谷の不動産屋に寄って、鍵をもらって自宅マンションへ帰った。夕方、ジャケットとワンピースをクリーニングに出し、パンティーは捨てた。ワンピースはクリーニングで縮んでしまったので、六月になってリフォームに出した。

〈6〉  五月七日午前二時ころ、当時交際していたFが訪ねてきた。Fには、被告人に強姦されたとまでは言わず、強姦されそうになったという話をした。Fは、同日午前三時ころ、被告人のところへ抗議の電話をかけた。また、同月八日ころ、友人のG子から電話があったので、被告人に強姦されたことを話すと、告訴した方がいいから病院で診断書を取っておくよう勧められた。警察はともかく病院へは行った方がいいと思って、同月九日、下落合の聖母病院へ行った。休日だったので当直の医師に相談したが、生理が始まっていたことや日数が経っていたことから、婦人科の診断を受けても証明は難しいと言われ、外科の診断だけを受けた。同月一一日には、日比谷眼科へ行って診断を受けた。告訴するか迷っていたが、G子が警察官に知り合いがいる人を紹介してくれるというので、同月一四日午前零時過ぎ、G子の紹介でHに会った。Hは怖い感じの人だったので相談することを躊躇したが、G子の顔を潰してはいけないと思って、Hに事件のあらましを話した上で、告訴したいということのほか、ワゴン車内に忘れてきた鍵が入ったコートやイヤリングを取り返すことや医者にかかった実費を請求して欲しいと思っていることなどを話した。慰謝料を請求する話などはしていない。Hは、被告人に連絡をとってみると言っていたが、六月初旬ころ、Hから電話があり、「甲田(被告人)に電話をしてみたが、太い奴なので警察に行きなさい」などと言われ、駒込署の警察官の名前を教えられたので、同月一一日ころ、被告人を告訴した。

(以下、右証言を部分的に引用するときは、〈1〉ないし〈6〉の番号を用いる)

四  被告人供述の要旨

被告人は、捜査段階の弁護人(いわゆる当番弁護士)の指示に従い、捜査官の取調べに対して黙秘を貫いた。もっとも、勾留質問の際には「暴行脅迫は加えていないし、強いて姦淫してもいない」と述べて、強姦致傷の被疑事実を否認し(勾留質問調書・乙5)、勾留理由開示期日においては「乙山からA子を送っていく途中、同女がワゴン車内で嘔吐したことでトラブルになった」と、性交の事実自体をも否定しているととれる陳述をした(勾留理由開示調書〔職5〕)。その後の公判では、A子とワゴン車内で性交したことは認めるが、それは合意によるものであったと供述しているところ、被告人の公判供述の要旨は以下のとおりである。

a  僕は、丙川證券の系列会社に勤務しながら、メディアの下請け等を業とする株式会社丁原(以下「丁原」という)を経営している。五月五日午後八時三〇分ころ、同社の取引先のBと「甲野」へ遊びに行った。午後一〇時ころ、同じく同店へ遊びに来ていたD子に話し掛け、コースターの裏にお互いの電話番号を書いて交換した。午後一一時ころ、食事に行かないかとD子を誘ったが、その際、Lという呼び名でA子を紹介された。結局、D子ら五人のグループとA子も行ったことがあるという六本木の「乙山」へ行くことになった。僕のワゴン車にA子、C子らが、Bの車にはD子とE子が乗って「甲野」を出発したが、途中のJR田町駅でC子らが降り、同月六日午前零時過ぎに「乙山」へ着いた。C子らを降ろした後の車内では、僕の仕事のことやC子らのことをA子と話し合った。

b  「乙山」では、最初に座った照明が明るい席から暗い席へ移り、スパゲッティやお酒などを注文して話をしたが、僕はA子の隣に座った。A子は前合わせで結び目があり、ラメが入った黄色のワンピースを着ていたが、ジャケットは見ていない。僕が提案して皆で山手線ゲームや王様ゲームをし、最後にはゲームの延長で野球拳になった。このゲームの中でA子はテキーラやショットガンを合計五、六杯飲み、僕も三杯位飲んだ。A子がお酒を捨てるところは見ていない。A子はゲームで負けることが多く、セックスに関する質問に答えたり、野球拳では皆の前でパンスト、更にはパンティーを脱いでそれを振り回したりした。それを見て、A子とセックスができるかもしれないと思った。ゲームが終わるころ、A子が僕の手に触れてからトイレへ行ったので、僕に気があるのかなと思って追いかけて行ったところ、A子は笑いながら「後で」と言った。帰り際にA子とE子の電話番号を聞いてコースターの裏にメモし、A子には口頭で僕の電話番号を教えた。同月六日午前三時ころ、同店を出たが、その際、D子が送って欲しいと言ってきた。Bが面倒だと言うので、僕が三人一緒に送ると提案したが、D子が断った。D子は僕とA子に気を遣ってくれたと思う。結局、Bの車にD子とE子が、A子が僕の車に乗ることになった。

c  「乙山」を出発してから、「荷物があるけど部屋に来ないか」とA子を誘ったところ、A子が承諾したので自宅マンション(渋谷区《番地略》所在のスカイコート戊田第二の四〇二号室)へ向かった。午前四時ころ、自宅マンション前の路上に車を止め、A子と二人で車を降りたが、その時点でA子はコートを脱いでいた。A子はかなり酔っていて、マンション入口のフロアーで仰向けに転倒したが、痛がる様子もなく笑っていた。「部屋でしよう」と言って、四階の自室の前までA子を連れて行ったが、婚約者であるJ子が来ているかもしれないと心配になり、そのまま車へ戻った。

d  車の助手席にA子を乗せ、僕も運転席に乗ったところ、A子がワンピースを脱ぎ始めたので、同女を運転席の方へ抱き寄せて服を脱ぐのを手伝い、僕も裸になった。それから後部座席へ移動することにしたが、A子はバランスを崩し、頭から前部座席と後部前座席との間に落ちた。A子を抱き上げるようにして最後部座席へ移動し、背もたれを倒して性交した。性交の最中、行為の流れでA子の口に指を入れたり、興奮を高めるために「精子を出してもいいか」と言った。最後は僕の手に射精し、僕の下着で手を拭いた。

e  性交後、A子に送って欲しいと言われたので送ることにした。A子は、最後部座席にいた。途中、車内で吐かないでと言ったにもかかわらず、A子が車内で嘔吐したことで口論になり、車を止めて同女を車の外へ引っ張り出そうとしたが、同女が抵抗するので、仕方なくそのまま同女を自宅付近まで送った。A子はコートや鍵を車内に忘れていったので、保管しておいた。

f  五月七日午前三時ころ、知らない男からA子と性交したことで金銭を要求するような脅迫電話がかかり、その後も、色々な名前で自宅マンションや丁原に何度も電話がかかってきた。相手は暴力団関係者かと不安になり、同月一八日、弁護士会の法律相談へ行った。同月末ころまで嫌がらせの電話が続いた。六月二二日本件で逮捕された。

(以下、右供述を部分的に引用するときは、aないしfの記号を用いる)

第二 当裁判所の判断

一  A子の受傷状況について

1  はじめに

検察官は、論告において、D子及びFの各証言や医師の診断結果等によれば、A子が本件直後に傷害を負っていたことは客観的に動かし難い事実であるところ、この傷害の結果は同女の被害状況に関する証言とも符合しており、A子証言の信用性を裏付けていると主張し、A子の受傷の事実をA子証言の信用性に関する立論の基礎に据えているので、まず、この点について検討する。

2  関係証拠の要旨

A子の受傷状況に関する証拠を概ね時間的順序に従って摘示すると、以下のとおりである(目撃時期、目撃者、証拠の引用に続いて、証拠の内容を示す)。

ア  五月六日明け方・D子(D子証言)

(A子を出迎えに行った際に見ると)「顔が少し腫れている状態で、打撲というか引っ掻き傷のようなものが、腕と膝から下に数か所あった」、(A子がシャワーを浴びた後に見ると)「顔の右下と両手両足が大分腫れており、腰の辺りに擦り傷があった。顎の辺りや額も大分赤くなっていた。顔が一番ひどいと思った。どちらかの目が充血というか赤く線が入っていた。どちらかの足の膝から下が青痣になっていた」

イ  五月六日夕方・K子(K子からの事情聴取書〔弁38〕)

(クリーニング店「乙野」にA子が来たとき見たが)「髪がぼさぼさとかやつれたとか変な様子がなく、特に目の回りや目に怪我をしていたということはなかった」

ウ  五月七日午前一時ないし二時ころ・F(F証言)

(A子のマンションへ行った際に見ると)「目が腫れた感じで、泣いた感じで充血していた。右目の眉毛の下辺りが腫れて、殴られたような跡があった。首のところが掴まれた感じで赤くなっていた。背中がかなり赤くこすれたようになっていた。腕も赤くこすれた感じで、強く掴まれたような跡があった。太ももの内側が赤くこすれた感じで、どちらかの膝がぶつけたように青痣になっていた。白目に血が広がっている状態だった。首には掴まれた跡が絶対ついていた」

エ  五月九日午後四時三〇分ころ・聖母病院婦人科医師小宮山慎一(小宮山の警察官調書〔甲10〕)

「左下肢、両側大腿内側皮膚に外傷を受けた跡が認められた」

オ  五月九日夕方・聖母病院外科医師尾中敦彦(尾中作成の診断書〔甲7〕、尾中の警察官調書〔甲13〕)

「左下肢部と両大腿部のところに二センチ平方位の大きさの暗赤色の皮下出血が見られ、三、四日位前の傷と思われたので、受傷日から全治約一週間の左下腿・両側大腿皮下出血の診断をした。この皮下出血は、殴ったり蹴ったり、又は堅い物にぶつけるとできる。A子は首の怪我を話していたが、別に変わったところは見られなかった」

カ  五月一二日・日比谷眼科医師谷島輝雄(谷島作成の診断書〔甲6〕、検察官作成の電話聴取書〔8〕、谷島の警察官調書〔甲12〕)

「右眼外側の球結膜の充血を認めたので、全治約三週間(診断時から治癒まで約二週間)を要する右眼球結膜下出血の診断をした。このような目の充血は殴られたり、何らかの衝撃があった場合に多くできるが、その原因が不明の例もある」

キ  五月一三日ころから一六日ころまでの間・D子(D子証言、警察官作成の負傷部位撮影写真入手報告書〔甲11〕及び負傷部位写真焼付報告書〔甲75-甲11の添付写真のネガフィルムを再度焼付けしたもの〕)

(仕事場でA子に頼まれて写真を撮ったが)「目の傷はひどくなっていた。手足の腫れは大分引いていたが、パッと見た感じでもすぐ分かるくらいだった」

ク  五月一四日午前零時過ぎころ・G子(G子証言)

(A子にHを紹介した際に見ると)「内太ももからくるぶしまでの間と右腕の所々に小さな赤っぽい痣があり、目がかなり充血して、首の両横がうっすらと赤かった。目の充血は(甲75添付写真1よりも)もうちょっとひどかった。(甲75添付写真7ないし12の)痣は見ている」

ケ  五月一四日午前零時過ぎころ・H(H証言)

(G子の紹介でA子の相談を受けた際に見ると)「(甲11添付写真8、9にあるように)膝の近くに薄く消えかかった痣があった。腕ははっきりとは分からないが、多少殴られたような跡だなと思った。どちらかの目の白目の半分が充血していたが、目の回りに殴られたような外傷はなかった。太ももは見ていない」

3  関係証拠の検討

以上のうち、エないしカについては、第三者である医師の診断によるものであって、その信用性に疑いを差し挟むような事情は窺えないから、A子には、五月九日の時点で左下腿部・両側大腿部に三、四日位前に受傷したと思われる皮下出血(受傷日から全治約一週間)が存在し、同月一二日の時点で治癒までに約二週間を要する右眼球結膜下出血が存在していたことは認められる(公訴事実はこれらの傷害を取り上げたものである)。

しかしながら、アないしケの証拠を中心に検討しても、それ以上にA子の傷害の有無・程度を認定することは困難であるといわざるを得ない。

すなわち、(1)D子及びFは、「顔の右下が大分腫れており、顔が一番ひどいと思った」「右目の眉毛の下辺りが腫れて、殴られたような跡があった」などと証言するが、本件当日にA子を見たK子は、顔面の異常には気付かなかったと供述している上、その約三日後の医師による診察の結果においても顔面の異常については触れられていないこと、A子は五月九日ころにはコンパニオンの仕事に行っていること(第三回公判A子証言)に照らすと、D子及びFが証言するように、A子の顔面に殴られたときにできるようなひどい腫れがあったのかどうか疑問が残るところである。(2)カの五月一二日に診断された右眼球結膜下出血につき、医師重田聡男は警察官調書(甲14)において、受傷から六日間を経過しても出血があったのであれば、出血の程度はかなりひどかったと思われるという意見を述べているが、K子は、同月六日夕方の時点でA子の目に異常はなかったと明確に供述している上、右のとおり、A子はその約三日後に仕事に出ていること、エ及びオのとおり、同月九日にA子を診察した小宮山医師と尾中医師は、いずれもA子の眼の異常に気付いた形跡がないことに照らすと、カの右眼球結膜下出血が本件当日から生じていたものであるかどうかも疑わしく、D子及びFがア及びウの時点で見たと証言するA子の目の充血は、これが存在したとしても、重田医師が推測するような重篤なものであったとは考えにくいところである。(3)D子は、五月六日明け方の時点でA子の両手両足は大分腫れており、それから一週間ないし一〇日後に見たときも、腫れが大分引いていたとはいえ、見てすぐに分かる状態だったと証言し、F及びHは、A子の腕には、強く掴まれたか又は多少殴られたため出来たような跡があるなどと証言する。しかし、エ及びオのとおり、この間の同月九日に行われた医師による診察の結果では、手足の腫れや腕の傷痕について触れられていないことに照らすと、右のようなD子らの証言の信用性も疑わしいといわなければならない。(4)Fが証言するA子の首の赤くなった跡については、オのとおり、尾中医師は、五月九日の診察の際、A子の首に異常は認められなかったと供述しており、この供述の信用性が高いことは前述したとおりである。なお、その約五日後にA子を見たG子は、「A子の首の両横がうっすらと赤かった」と証言しているが、右証言が事実であるとすれば、G子のいうA子の首の痕跡は右診察後に生じたものということになる。

そもそも、D子及びFの各証言によれば、ア及びウの当時、同人らはA子から被告人に暴行を受け強姦された(あるいは強姦されそうになった)と打ち明けられ、暴行の態様についても具体的に聞かされていることが認められるから、D子及びFについては、右のようなA子の話に影響されて受傷状況を誇張して証言している可能性も否定できない(これに対し、K子には右のような影響はないことは明らかである)。特に、D子がアの時点でA子を見たときは、同女は午前三時過ぎまで飲酒していた(なお、飲酒量については後述する)のであるから、その飲酒と夜明しの影響で同女の目が充血したり、顔がむくんでいた可能性も高いから、D子証言はこれを誇張している可能性もある。また、F証言のうち、「殴られたような跡」「腕を強く掴まれたような跡」「首を掴まれたような跡」という部分は、A子から被害状況を聞かされたことの影響がかなりあることを窺わせるものであって、これをそのまま信用することはできない。このような影響は、同じくA子から被害状況を聞かされているHの証言にも見られるところである。

検察官は、受傷状況に関する証拠に矛盾はないと主張するが、右主張においては、医師による診断は、診断された傷害があったという面での強い証明力と共に、診断した限りにおいてではあるが、その外には傷害ないし異常はなかったという面でも強い証明力を併せ持つということが十分考慮されていないし、また、K子供述等が無視ないし軽視されているがその根拠も定かではない。右主張は採用できない。

4  小括

結局、アないしケの証拠を総合しても、本件の直後にA子が左下腿部・両側大腿部の所々に皮下出血の傷害(全治約一週間)を負っていたことが推認できるだけであって、それ以上にA子に本件に起因する受傷が存在したと認定することはできない。そして、右皮下出血はなんら治療を要しない軽傷であり、この部位におけるこの程度の軽傷であれば、後述のA子の銘酊の程度や本件前後の行動に照らすと、種々の機会に生じ得たと考えられるから(後記八2参照)、この傷害を被告人に暴行されて強姦されたというA子証言の決定的裏付けとすることはできない。

逆に、これら傷害に関する証拠を比較検討しただけでも、A子やD子らA子側の者の証言等に客観的事実に反する部分やことさらに誇張した部分が含まれている疑いが濃厚であるということができる。

二  A子証言の信用性全般に関する事項について

1  はじめに

右一のとおり、本件直後にA子の大腿部等に皮下出血が存在していたという事実は、A子証言の信用性を肯定する決定的裏付けにはならないというべきであるから、他の関係証拠に照らすなどして、被害状況を中心としたA子証言の信用性を慎重に検討していく必要がある。ここでは、その信用性を個別的・具体的に判断していく前提として、A子の人物像やA子証言の特徴等、信用性全般に関する事項について検討していくこととする。

2  A子の落ち度とこれについての自覚の有無

A子証言によれば、A子が被告人らと「乙山」へ行ったのは、被告人らが丙川證券に勤めているようなので変なことはないだろうと考えたからであり、同店では適量を超えないように途中から飲んだふりをしてお酒を捨て、ゲームの中でパンストを脱いだのもお酒が飲めないので仕方なくそうしたということであり、同店からの帰りに被告人の車に乗ったのも、常識的にはまずいと思ったが、D子が自宅近くまでBの車でついて行くから大丈夫と言ってくれたし、被告人もきちんと送ってくれると思ったからであるというのである。このようにA子は、自分は一応慎重に行動していたという趣旨の証言をしている(特に、第一二回公判では「セックスすることを承諾したと受け取られるような言動は全然していない」と証言する)。しかしながら、A子証言によっても、「甲野」で声を掛けられた初対面の被告人らと「乙山」で夜中の三時過ぎまで飲み、その際にはゲームをしてセックスの話をしたり、A子自身は野球拳で負けてパンストまで脱ぎ、同店を出るときには一緒にいたD子、E子と別れて被告人の車に一人で乗ったというのであるから、その後被告人から強姦されたことが真実であったとしても、A子にも大きな落ち度があったことは明らかである。

にもかかわらず、A子の証言内容及び態度からは、自らにも落ち度があったことの自覚が全く窺えないばかりか、かえって、前記のように自分は一応慎重に行動していたという趣旨の証言をしているのである(なお、沢辺弁護士作成の報告書〔甲84〕によると、A子は同弁護士に対し、被告人を死刑にしてほしいと言ったことが認められるし、A子は証言中でも被告人を一生出られないようにしてほしいなどと極端なことも言っている)。A子が本心から自己に落ち度がなく、自分は慎重に行動していたなどと思い込んでいて、そのような証言をしているのであれば、A子は社会常識に欠けるところが甚だしい女性とみられてもやむを得ないであろうし、本心では落ち度を自覚しているとすれば、その証言態度の誠実性に疑問が生じ、その証言にはことさらに被告人に不利になるように誇張したり、話を作ったりした部分もあるのではないかと疑われても致し方ないであろう。

3  変更部分から窺われるA子証言の特徴等

A子は、本件当時着用していたというワンピースについて、第二回及び第三回公判では「被告人の臭いが付いているのが嫌だったので、パンティーと一緒に捨てた。このワンピースは膝上一〇センチ位だが、G子が撮影した写真で着ているもの(警察官作成の負傷部位撮影写真入手報告書〔甲11〕、押収してあるワンピース一着〔平成六年押第二八二号の21、甲47〕)とは違い、丈が長かったので、自分で切ってミシン縫いして短くした」と証言していた(第三回公判で証人尋問は終了)。ところが、検察官の請求により再度証人として出廷した第一二回公判(平成六年三月二九日)になって右の証言は嘘であったとしてこれを覆し、本件当時着用していたワンピースはクリーニング後リフォームに出し、それで分断されたものが押収してあるスカートの端切れ一枚(同号の18、甲35)及びセーター一着(同号の19、甲41)であると証言するに至った。なお、A子作成の任意提出書(甲33、39)、警察官(甲34)及び検察事務官(甲40)各作成の領置調書によれば、右の証拠物のうち前者は七月六日警察に提出され、後者は平成六年三月八日検察庁に提出されていることが認められる。

そして、A子がこのように証言を変更するに至った理由ないし経緯として述べるところは、「警察で事情聴取を受けたとき、服の提出とかいろいろ面倒臭いと考え、ワンピースは捨てたと言ってしまったが、丈が長くてださいので切った切れ端ならあると答えた。丈が長かったので切ったというのも嘘だが、リフォームのことが念頭にあってそう答えた。七月六日、警察で指紋等の採取を受けたとき、警察官が『ワゴン車内からラメが採取された』(警察官作成の検証調書〔甲11〕参照)と話しているのが耳に入り、『それは自分が着ていた服のものかもしれない。切れ端ならある』と申し出て、自宅へ切れ端(甲35)を取りに行って提出した。前に切れ端はあると説明していたので、提出しても問題はないかなと思った。セーター(甲41)もあったが、こちらは捨てたと説明していたので提出するのをやめた。一度捨てたと言ってしまった以上、訂正するのが何か嫌だった。前の法廷では、深い意味はなかったが、警察にワンピースは捨てたと言った流れで捨てたと証言してしまった。また、警察に切れ端を提出しているので、ワンピースの丈が長かったので自分で短くしたと証言した。これ以上いろんな人を巻き込みたくなかったのと面倒臭いという気持ちだった。しかし、毎回法廷を傍聴していたら、第五回公判で被告人が自分の着衣について嘘の供述をしたので、検察官に本当のことを話した」というものである。

この点について、検察官は、ワンピースに関するA子の先の虚偽証言(あるいは警察官に対する虚偽供述)は、本件当時のA子の服装が重要な争点となる以前になされたものであり、証言の核心部分に影響を与えるものではないと主張する。

しかしながら、A子は警察官から事情聴取を受けたとき、本件当時着ていた服があるかと聞かれているのであり(第一三回公判A子証言)、本件当時の着衣が捜査を進めるにあたって重要な証拠品になるということは認識できたと認められる。それにもかかわらず、面倒臭いなどという程度の理由でワンピースは捨てたと嘘の供述をした上、リフォームのことを念頭に置いて、丈が長くてださいので切ったという作り話までして切れ端ならあると答えたというのである。その後、切れ端(甲35)を提出した際にも、単に従前の供述を訂正するのが嫌だったというだけで、セーター(甲41)の方は提出しなかったというのである。そして、当初の証言の際には、被告人が和姦であり無罪であると主張していることを知っているのに、深い意味はなかったとか、警察で捨てたと言った流れでという程度の理由で虚偽の証言をしたというのである。このような虚偽供述ないし供述をした理由として述べるところは、通常の常識人を基準にして考えればそれ自体理由になるかどうかも疑問であり、そのまま信用することは躊躇されるところである。強姦の被害者としては、その被害に遭ったときに身に付けていた衣類は、告訴に伴い警察に証拠品として提出するか、汚らわしいと思うなどしてこれを処分するのが通常であろうが、A子としても、被告人から強姦されたときに着ていたワンピースをリフォームに出してまで着続けようとしていたと供述すれば、捜査官から不自然と思われるのではないかと考えて、この点につき虚偽供述をしたのではないかと推察される(なお、変更後の証言に、右のような不自然さが残ることも否めない)。また仮に、「深い意味はなく」で虚偽の証言等をしたということがそのとおり真実であるとすれば、A子は厳粛な法廷においてさえもそのように軽はずみに嘘をつくような人物であるということになり、本件直後友人のD子に「深い意味はなく、軽い気持ちで」(「軽い気持ちで」はA子証言中に時々出て来る言葉である)嘘を混ぜた話をし、「その流れで」引っ込みがつかなくなり、ついには本件告訴にまで及んだのではないかと疑われてもやむを得ないであろう。ともあれ、A子証言中には、被告人や他の関係者の供述と相反する部分が少なくないところ、第二回及び第三回公判におけるA子証言をつぶさに検討しても、右ワンピースに関する部分に、他の部分とは異なる特徴があるとは認められない。すなわち、他の部分についても、自己の言動の理由等を一応説明し、質問に応じて理由等をさらに付加したり、詳細化させているのである。したがって、A子証言中の他の部分の信用性も相当慎重に検討する必要があることは明らかである。

4  A子の経歴・素行等

第一に、A子の警察官調書(甲56)によれば、A子は山口県内の高校を卒業後、デパートに勤務したが、ファッションモデルとしてスカウトされ、昭和五八年ら約四年間、大阪市内でモデルの仕事をした後、昭和六三年に上京してイベントコンパニオン、芸能プロダクションのエキストラやスタッフ等の仕事をし、平成三年ころからパーティーコンパニオンをしていることが認められる。このようにA子は、一般人から見ればかなり派手な経歴の持ち主であるといわなければならない。

第二に、A子は「ディスコに行っても踊らないし、ディスコは社会勉強のために行く」と証言する(第一二回公判)が、他方で、他のディスコ、カジノバーへも行ったことがあると認めていること、友人のG子が「A子はディスコに行くのが好きみたいで、年齢の割りには服装が派手目である」と証言していることに照らすと、そのまま信用することはできない。また、E子証言によれば、A子は「乙山」において、他の誰も味を問題にしていないのにスパゲッティを塩っぱいなどと言って取り替えさせたことが認められるが、このような行動は、通常の神経ではなかなか考えられないことである。

第三に、ビデオ丙山下落合店の過去貸付明細書(弁35)及びF証言によれば、A子が会員となっている同店において、二月八日、四月八日、同月二五日、五月二七日、六月九日及び同月一九日に、A子の名前でアダルトビデオが借りられていることが認められるところ、A子は、これらのビデオは自分の会員カードを使ってFが借りたものであると証言する(第一三回公判)。しかしながら、Fは、「A子とは三月ころから付き合うようになり、六月初旬ころには疎遠になった。(弁35の)ビデオリストのうち、四月七日から五月二七日までのものは借りた覚えはあるが、二月八日はA子と付き合い始める前だし、六月九日や同月一九日はA子とは疎遠になっていたので、これらの日に借りられたビデオを見た覚えはない。五月二七日に借りたアダルトビデオ(「変態快楽物質2 SM陰獣図鑑」「聖水の女たち」は、A子もちょっとは見ているかもしれない」と証言している。Fの右証言は具体的であって、その信用性を疑わせるような事情は窺えないところ、右証言によれば、二月八日、六月九日及び同月一九日に貸出となっているアダルトビデオについては、Fが借りたというA子証言では説明がつかないことになる。また、〈6〉のA子証言によれば、五月二七日というのは告訴をするか否かで迷っている時期であるから、この証言が真実であるとすれば、このようなときに、A子が、自宅を訪れたFがアダルトビデオを見るのを咎めずに許容した上、自らも観賞しているかもしれないということになる。そうすると、この当時のA子は、告訴するかどうかで悩み苦しむという状況になかったのではないかとも疑われるところである。

第四に、A子の藤本弁護士宛て内容証明郵便(弁7)及び沢辺弁護士作成の報告書(甲84)等によると、A子は本件の起訴後第一回公判期日前の時期に、被告人の弁護人であった藤本弁護士や自己が知人の税理士に紹介されて相談した沢辺弁護士に対し、「今回の強姦致傷で婚約者を失った。一生結婚できないかもしれない」などと述べている。A子証言によると、その婚約者というのはFのことであるというのであるが、Fは、傷害等の点では前記のとおり、A子のためになるような証言を心掛けていると見受けられるのに、「A子とは結婚の話をしたことはあるが、婚約はしていない。別れた主たる原因は性格が合わないことであり、本件があったからではない」と証言しているのである。また、F証言によると、A子はFと二度目に会ったとき(二人だけになった最初の機会)に性交を持ったことになる。このようなF証言の信用性を疑うべき事由も見当たらないので、A子は、右両弁護士に対し、自己を悲惨な被害者のように思わせるため誇大なことを伝えていると認められるし、その貞操観念には疑問が残るといわざるを得ない。

第五に、A子は、証言において、概ね上品な淑女のような言葉遣いや態度に終始しているが、時折り「おおぼけ(を)こいた」などという言葉を口走るなどして、いわば馬脚を現わしており、普段上品とはいえない言葉遣いをする場面もあることが窺われる。なお、A子は、告訴まであれこれ思い悩み、当初の証言の前にも、公開の法廷での証言は避けたいと弁護士に相談までしたというのであるが、本件の公判を第一回から第一三回まで毎回欠かさず傍聴(ただし、第二回、第三回、第一二回及び第一三回は証人として出頭)するという、この種事件の被害者としては、あまり例がない行動に出ている。

5  小括

以上2ないし4の事実等を総合すると、A子については、慎重で貞操観念があるという人物像は似つかわしくないし、その証言には虚偽・誇張が含まれていると疑うべき兆候があるといわなければならない。以下、このような点を念頭に置きながら、A子証言の信用性を個別的・具体的に判断していくこととする。

三  「乙山」におけるA子の言動について

1  ゲーム中のA子の言動

関係証拠によれば、王様ゲームの中ではセックスの話も出ており、被告人がA子に「最近のセックスはいつか」などと質問したのに対し、A子は適当に嘘をついたとはいえ、質問自体には答えていること、A子自身もゲームの中で、D子かE子に対し、「セックスのときいったことがあるか」という質問をしていることが認められる。

また、A子が野球拳に負けて、少なくともパンストまでは脱いで、これを手に持って振り回したことは関係証拠上明らかであるところ(A子はパンティーを脱いで振り回したという被告人の公判供述及びBの警察官調書〔弁2〕における供述のほか、D子がパンストに関し、A子証言よりも後退した明らかに事実に反する具体的証言をしていることを併せ考えると、A子はパンティーまで脱いで振り回したのではないかとも疑われる。そのように断定するには至らないが、検察官がいうように被告人のパンティーについての供述を虚偽と断定することもできない)、A子は、〈2〉のとおり、「パンストを脱ぐのは嫌だったが、ゲームだしお酒を飲むよりはいい、そこまでだと思って、ワンピースをまくらずにその上からずらすようにして脱いだ。脱いだパンストを手に持って振り上げたり、パンティーを脱いだりはしていない」と証言する。しかしながら、関係証拠によれば、野球拳は負けたら服等を脱ぐか酒を飲むというルールで行われたことが認められるところ、A子が証言するように飲んだふりをして酒を捨てることが可能であったのならば、嫌なのに初対面の男性の前でパンストまで脱ぐ必要はなかったはずであるから、この間のA子証言には不自然な点が残るというべきである。また、脱いだパンストを手に持って振り上げてはいないという証言は、E子の証言やBの供述等の関係証拠に照らし、虚偽というほかない。

以上のようにA子は、初対面の被告人らの前で、ゲームとはいえセックスに関する話を抵抗なくしている上、少なくともパンストまでは脱いでこれを手に持って振り上げるという大胆かつ刺激的な行動をとっているのであるから、かなり節操に欠ける女性であるといわざるを得ない。

2  A子の飲酒量等

A子は、本件当時の飲酒量について、〈1〉〈2〉のとおり、「甲野」ではビールを三角錐のようなグラスに二杯、「乙山」ではテキーラ、ショットガンをショットグラスに一杯ずつとジントニックに少し口をつけたかもしれないが、後は飲むふりをしてテーブルの上にあったグラス等に捨てたので、ほろ酔い程度であったと証言する。

しかし、まず、警察官作成の「飲食等伝票の入手について」と題する書面(弁3)によれば、被告人らが「乙山」で注文したアルコール類は、テキーラ(ショットガンを含む。以下同様)が合計一五杯、ジントニック一杯、ズブロッカ、ワイン、ビールが各三杯であることが認められるところ、被告人の供述(第五回公判)及びD子証言(第三回公判)によれば、A子は同店でも最初はビールを飲んでいることが認められる。このように、A子証言では述べられていないが、A子は「乙山」でもビールを飲んでいるのである。なお、関係証拠を検討しても、Bはウーロン茶、被告人はズブロッカかジントニック、D子とE子は白ワインをそれぞれ飲んでいたことが窺われるから、同店で注文されたグラス三杯のビールは全部A子の分であった可能性も否定できない。

次に、関係証拠によれば、テキーラはゲームで負けた者が飲むために注文されたものであること、Bはテキーラは飲んでおらず、D子とE子が飲んだテキーラは各自せいぜい一、二杯程度であること、A子はゲームで一番負けていることが認められるところ、Bは警察官調書において、「A子はゲームに負けてテキーラを大分飲んでいた」(弁1)、「他の二人の女性(D子とE子)は飲むのは嫌だと言っていたので、被告人とA子がテキーラを一〇杯位飲んでいるかもしれない」(弁2)と供述し、被告人は「A子はE子の分も含めてテキーラを五、六杯飲んでいた」と供述する(第五回公判)。これに対し、A子は、テキーラを二杯飲んだが、後は飲むふりをしてテーブルの上にあったグラス等に捨てたと証言するが、他方で、ゲームに負けて酒を一気飲みするときは、皆が注目して掛け声をする状況にあったことを認めているのであって、店内が暗かったことを考慮しても、このような状況下で、他の者に気付かれないようにテーブル上のグラスに酒を捨てることができたかはかなり疑問であって(前記1で述べたとおり、A子は野球拳に負けてパンストまで脱いでいるが、飲んだふりをして酒を捨てることができたのならば、嫌なのにパンストまで脱ぐ必要はなかったはずである)、A子はテキーラをかなり多量に飲んでいると認められる。

以上のとおり、A子はビールのほか、テキーラもかなり多量に飲んでいること、右1のとおり、初対面の男性である被告人らの前でパンストを脱ぐという大胆かつ刺激的な行動に出ていることなどに照らすと、A子は当時かなり深く酩酊していたものと推認される。

3  小括

以上検討したとおり、A子は、「乙山」における自己の言動等につき、一部真実とは異なる証言をし、同店での飲酒量を実際よりもかなり少なめに証言していると認められる。以上の二点は、強姦か和姦かが争点となっている本件において重要な意味を持つ事柄であり、A子は、これらについて、和姦の可能性を否定する方向で真実と異なる証言をしているのであって、このことはA子証言の核心部分の評価にもかなり大きく影響するといわなければならない。すなわち、前記1で認定したようなA子の言動は、本件が和姦ではないかと推測させる方向に働く間接事実の一つということができるし、この点に関する証言に虚偽が含まれているとすると、強姦か和姦かという証言の核心部分の信用性にも大きな影を落とすといわざるを得ないし、また、前記2で検討した酩酊の程度の点は、A子の本件当時における貞操観念の強弱のほか、A子の本件当時の出来事に関する記憶状況にも影響し、この点に虚偽が含まれていることは、証言の核心部分の信用性をかなり損なうものというほかないのである。

四  「乙山」出発時の状況について

1  はじめに

関係証拠によれば、五月六日午前三時過ぎころ、被告人の車にA子が、Bの車にD子とE子が乗って「乙山」を出発したこと、Bの車は、被告人の車を待たずに出発し、被告人の車とは別方向の下北沢方面へ向けて走り、D子とE子を自宅近くまで送り届けたことが認められる。

この間の事情について、A子は、〈2〉のとおり、「常識的に初対面の人に送ってもらうのはまずいかなとも考えたが、D子が、自宅近くまでBの車でついて行くから大丈夫と言ってくれたし、被告人もきちんと送ってくれるだろうと思った」と証言している。そこで、関係証拠に照らし、右A子証言の信用性を検討する。

2  関係証拠の検討

まず、D子及びE子はいずれも、D子がA子に後からついて行くと声をかけた旨証言している。他方、Bは警察官調書(弁2)において、「『乙山』で隣に座っていた女性(警察官作成の裏付捜査報告書〔弁49〕によれば、D子であると認められる)から送って欲しいと言われたが、飲んでないのに代金の半分を負担したことで面白くなかったので、早く帰りたかった。自分は同店へ来るときに乗せた二人(D子とE子)を送るため、すぐに下北沢へ向かった。被告人は店で意気が合っていたA子を乗せて帰ったと思う」と被告人の車の後をついて行く約束をしたことを否定していることはもちろん、D子からそのように頼まれたとも供述していない。そして、被告人は、「Bは送るのが面倒だというので、僕がD子らに三人一緒に送ろうかと言うと、D子は『それはいい』と答え、結局D子らはBの車に乗ることになった。僕はBやD子が気を利かしたのかなと思った。Bの車が追走して来るなどという話は出ていない」と供述している。

ところで、A子及びD子の各証言を検討しても、D子が違う方向へ車を走らせるBに強く抗議した形跡もないし、A子がE子に強姦の被害に遭ったことを打ち明けた際、Bの車でついて来なかった理由を問い質すなどした形跡もない。A子やD子らとしては、被告人のワゴン車に三人で乗ることも、Bのポルシェに三人で乗ることも十分可能であったし、タクシーを利用することも当然考慮されたはずであるが、A子及びD子の証言によっても、A子はD子らとそのような相談を全くしないまま、被告人と二人きりになることを承知で被告人の車に乗ったことが明らかである。以上のほか、前記三でみた「乙山」でのA子の言動や飲酒量をも考え合わせると、A子は同店を出る際には、すでに被告人に車で送ってもらうつもりになっていたと考えるのが、前記1で認定した車や人の動きに照らし自然というべきであろう。

結局、D子がBの車でついて行くと言ってくれたので被告人の車に乗ったというA子証言はもちろん、これに符合するD子及びE子の証言も、そのまま信用することは困難であるといわざるを得ない。

なお、仮にD子がA子に後からついて行くと声を掛けたことがあったとしても、それは、Bからその旨の了解を取る前のことである。そして、仮にD子がBにその旨申し出たことがあったとしても、Bはこれを全く無視しているし、そのことは特に問題になっていないのである。D子がA子のことを心配していたというにしては、あまりにも無責任な態度であり、このようなD子の態度からは、むしろ、D子はこれまでのA子と被告人の言動を観察した結果、二人きりにしても問題はないと判断していたのではないかと推察されるところである。また、仮にBの車による追尾の約束があったとしても、A子がその約束がなければ被告人の車に一人で乗ることはなかったというほど、これを重視していたのであれば、追尾が確実になされるかどうかを確認するのが当然であると思われ、証言にある程度のD子の言葉を聞いただけで、あっさりと被告人の車に同乗したというのは不自然な感を否めない。そもそも、A子が当時さほど酩酊しておらず、しっかりした貞操観念を有していたとすれば、被告人と友人関係にあるBが追尾の約束を破ることも懸念されたであろうし、信号待ち等でBが失尾する可能性も考えたであろうから、追尾の約束の確認がなされていたとしても、被告人の車に一人で同乗するということはしなかったであろうと考えるのが、社会常識に適うであろう。

3  小括

以上によると、A子は、「乙山」を出発した際の状況についても、Bの車でD子らがついて来ると思ったので被告人の車に乗ったなどと、自己の当時の貞操観念を強調する方向に事実を曲げて証言をしているといわざるを得ない。

五  被害状況に関するA子証言の検討

1  はじめに

前記三及び四のとおり、A子は、「乙山」における言動等及び同店を出発する際の状況に関し、和姦の可能性を否定する方向へ事実を曲げて証言をしていると認められるから、A子証言のうち被害状況に関する部分(すなわち核心部分)についても慎重に判断する必要がある。そこで、被害状況に関するA子証言を子細に検討すると、次のとおり、不自然、不合理な点が多く見られるのである。

2  暴行の唐突性

A子証言によれば、被告人は近くにアパート風の建物がある駐車場のような場所に到着するまでの間、口説き文句の一つも言わず、右場所で「荷物を取りに行く」などと言ってワゴン車を降り、まもなくしてA子が同車を降りて歩いているのに気付いて襲いかかり、車内に引きずり込んで姦淫したということになるのであるが、被告人とA子がそれまで一緒に飲酒し、ゲームの中でセックスに関する会話までしていたことを考えると、A子が証言するような被告人の行動は余りにも唐突で不自然であるといわざるを得ない。

3  被告人の荷物に関する言動

A子証言からは、被告人は「乙山」を出発してすぐにA子を強姦するつもりになっていたように窺われるが、被告人にそのような時点からA子を強姦するつもりがあったとすれば、A子を車内に残したまま「荷物を取りに行く」などと言って車を離れるということは考えられず、被告人のそのような言動は理解し難いものというほかない。なお、A子が証言するように、被告人が荷物を取りに行くと言って建物の方へ向かったのであるならば、A子としては、被告人の姿が建物内に消えてから車を降りるのが合理的な行動であると考えられる。

4  停車場所

被告人は、本件当時ワゴン車を停めた場所は、前記戊田の自宅マンション付近の私道上であると供述しているが、A子は停車場所はそこではないと縷々説明している。被告人は当時右マンションに引っ越してから間がなかったのであるから、被告人の供述(c)をも併せ考えると、被告人がワゴン車を停めた前後ころ、A子に対し「荷物」という言葉を含む何らかの発言をしたことは事実と認められる。被告人が「荷物」に言及したのであれば、停車場所は自宅マンション付近であったとみるのが自然であって、被告人の停車場所に関する供述は、概ね(路肩のプランターとの位置関係等の停車地点に関する細かい部分を除く)これを信用してよいと思われる。のみならず、A子証言にあるように、強姦するつもりの被告人が「荷物を取りに行く」と言ってA子を残したままワゴン車を降りたというのであれば、ワゴン車の停車場所は被告人のマンションからあまり離れていない場所であったとしか考えられない。したがって、停車場所に関するA子証言は信用できないといわざるを得ない。

5  口を塞ぐための措置

A子証言によれば、本件駐車場で被告人に襲われたA子は、車外で少なくとも二回大声を上げたが、被告人は、A子の口を塞いだり、「騒ぐな」と脅迫したりはせず、口を塞いだのは車内に入ってからということになる。未明であったとはいえ、近くにアパートのような建物がある場所でA子に大声を出されたにもかかわらず、被告人がA子を黙らせるための手段を講じようとしなかったというのであれば、それは不自然というほかない。なお、A子が被告人に襲われ、車内に引きずり込まれた状況について比較的詳細に証言していることに照らすと、被告人が車外でA子を黙らせるような言動に出た旨の証言が欠落しているのは、個別具体的にこの点の質問がなされなかったためであるとは考え難い。

6  車内への引きずり込み等

A子証言によれば、被告人は抵抗するA子の腕を掴んでワゴン車の方へ連れて行き、後部左側のスライドドアを開けて、引き上げるように同女を車内に引きずり込んだというのである。しかし、A子と被告人では大きな体格差があるとは認められない。すなわち、A子はモデルという経歴が示すように女性としては身長も高く(Bは警察官調書〔弁2〕において、A子は背が高い女性であると供述している。なお、当裁判所が証人として出廷したA子を見たときの印象も同様である)、自ら五〇キログラム程度の体重があると証言しているところ、被告人はこの年代の男性としてはやや背が低く(一七〇センチメートル弱)、体格もごく普通で特に頑健であるとは見受けられない。また、関係証拠によれば、被告人は車の運転ができたとはいえ、本件当時かなり酩酊していたと認められる。これらの点を考慮すると、被告人が、抵抗するA子を押さえ付けながら一人でワゴン車のスライドドアを開けた上、車高が高いワゴン車(地面から後部前座席の座席部分までの高さは約八一ないし八七センチメートルである。当裁判所の検証調書〔職10〕)の中に、引き上げるようにA子を引きずり込むことが可能であったか疑問が残るといわざるを得ない。しかも、A子が供述するように、同車の後部前座席が前向きであったとすれば、スライドドア付近の開口部はかなり狭いことが認められ(当裁判所の検証調書〔職10〕)、このような開口部から、抵抗する同女を車内に引きずり込むことはかなり困難であると考えられる。また、A子は、抵抗したが後ろ向きに車内に引きずり込まれたと証言しているところ、ワゴン車のスライドドア付近の構造に照らすと、右証言どおりであるならば、A子は足の裏側部分にも傷害を負い、痣等の痕跡が残る可能性は高いと思われるが、前記一2の医師の診察結果でもこのような痕跡は確認されていない。

7  足部への暴行の態様等

A子証言によれば、パンティーまで脱がされたA子が、足に力を入れて開かないように抵抗したところ、被告人が足を開かせようとして、A子の大腿部を手拳で叩いたというのであるが、足を開かせようとするのであれば、自己の膝を割り込ませるなどして同女の閉じた足を直接開かせようとするか、同女の顔面を殴打して足を開くように命じる(なお、A子証言によれば、被告人はその直前に抵抗するA子の顔面を殴打しているというのである)という行動に出るのが通常であると考えられる。足を開かせるために大腿部を手拳で叩くというのは、いささか奇妙との感を免れず、A子は両側大腿皮下出血の傷害を負ったことを説明しようとして、このような証言をしているのではないかとの疑念を払拭できない。

8  嘔吐直後の姦淫等

A子証言によれば、被告人はA子が首を絞められて嘔吐したにもかかわらず、その直後にA子を姦淫していることになるが、前記三2のとおり、当時A子は相当酩酊していたと認められるから、酒に酔った同女が嘔吐したのであればワゴン車内に嘔吐物の臭気が漂っていたはずである。被告人がその臭気や見苦しさをものともせず直ちにA子を姦淫したというのもやや不自然である。また、関係証拠によれば、ワゴン車は、被告人が父親から借りた新車であったと認められるところ、A子証言によれば、被告人は同車内でA子が嘔吐したことに最後まで無頓着であったということになるが、この点からもA子証言には不自然さが残る。かえって、性交後にワゴン車内でA子が嘔吐したことで、同女と言い争いになったという被告人の供述(e)の方が、事実の流れとしては自然のように思われる。

9  告訴防止のための措置

A子証言によれば、姦淫後、A子が「訴えてやる」などと言い続けたのに対し、被告人は「どうしたら許してくれるのか」などと言った程度で、それ以上にA子が警察に告訴しないようにするための措置を講じていないことになる。しかし、電話番号を教え合ったという被告人の供述(b)はさておき、A子証言やD子証言のみを前提にしても、当時、被告人としては、BからD子あるいはE子に被告人の氏名、住所、電話番号等被告人を特定する資料となる事項が伝わっているかもしれないと懸念するのが当然と思われるから、右の点もまた不自然であるといわざるを得ない。

10  小括

以上のとおり、A子証言の核心部分というべき被害状況自体に関する部分にも、不自然、不合理な点が数多く存するのである。

六  告訴に至るまでの経緯

1  はじめに

関係証拠によれば、本件発生時からA子が被告人を告訴するまでには約一か月が経過している。もっとも、強姦の被害者が、事が公になることは避けたいと考え、告訴するか否かで悩んでいるうちに時間が経過するということも十分にあり得るから、告訴までに時間がかかっていることだけで、虚偽の告訴である可能性が高いということにはならない。そこで、A子の告訴に至るまでの経緯について検討する。

2  本件直後の心境等

A子は、強姦された直後は被告人を訴えることしか考えていなかったし、その後にD子の家へ行った際も、このまますぐに警察に行って訴えるとか、病院へ行ってみるという話をしたと証言している。しかしながら、関係証拠によると、A子は、仕事を休んでいる間に警察はともかく病院へも行っていないのであって、結局、G子に勧められ、ようやく五月九日(本件の約三日後)に医師の診察を受けていることが明らかである。傷害の痕跡は時日の経過とともに失われていくことは自明のことであるから、A子がすぐに医師の診察を受けていないという事実は、A子の本件直後の心境が右証言にあるようなものではなかったのではないかとの疑いを生ぜしめるものである。また、A子証言(〈5〉)を含む関係証拠によると、A子は本件当時着用していた衣類(ワゴン車に遺留したものを除く)をすぐに捨てたり、クリーニングに出したりしていることが明らかである。強姦被害者の被害当時の着衣が暴行の有無等に関する重要な物的証拠になりうることは見易い道理であり、A子の右のような行為は重要な物的証拠を捨てたり、台無しにする行為ともみられるのである。してみると、A子はこのような行為に出ている時点までは、告訴することまでを念頭に置いていなかったのではないかと疑われるところである。

なお、本件から相当日時を経過した五月二七日のことであるが、アダルトビデオに関連して、被告人を告訴するかどうかで悩み苦しんでいたとは思えないような状況があったことは、前記二4の第三で指摘したとおりである。

3  多数の知人への相談及び被告人に対する圧力等

関係証拠によれば、A子は、本件後、自ら直接、D子、F、G子、H、C子、更には友人のL子に強姦の被害に遭ったことを話していることが認められる上、A子自身他にも勤務先の同僚に相談したことを証言において認めている。そして、このようにA子から話を聞いた者のうち、F、Hは被告人に電話をかけているし、G子はHをA子に紹介している。また、A子はL子に被告人の住所を調べてもらっている。このような事実に照らすと、A子は、被告人に圧力をかけるため、周囲の者に被告人から強姦されたという話を吹聴していると評されてもやむを得ないであろう。

特に、A子がG子の紹介で相談したHは暴力団関係者であるところ、A子は、Hの風貌を見て躊躇したが、G子の顔を潰すことになるので相談したと証言している。しかし、A子はその後G子に電話もしなくなり、G子は「力になってあげたのにA子には常識がないと思う」と証言していることに照らすと、G子の顔を潰さないためにHに相談したという証言をそのまま信用することはできない。また、Hに相談し依頼した内容がA子が証言する程度のものであったとすれば、A子としては、先に被告人方へ電話をしてもらったことのあるFにこれを依頼すれば足りたと考えられる。それにもかかわらず、A子がFではなくHに被告人との交渉を依頼したのは、Hが暴力団関係者であることを予め知った上で、被告人に圧力をかけるのに好都合であると考えたからではないかと疑われるところである。

3  小括

以上によると、A子は本件直後の心境や被告人に圧力をかけた状況等の告訴に至るまでの経緯についても、一部信用性に乏しい証言をしていることになる。結局、告訴までにかなりの期間を経過していることにつき、A子証言では合理的な説明がつかず、A子が本件当時の着衣をすぐに捨てるなどしたことや多数の知人に被告人から強姦されたことを話し、暴力団関係者を利用してまで被告人に圧力をかけていることなどの事実は、本件告訴の真実性に疑念を生じさせるものというべきである。

七  被告人の公判供述について

1  信用性を疑うべき事由

被告人の公判供述の評価にあたっては、前述のとおり、捜査段階では事実関係につきほぼ終始黙秘し、勾留質問や勾留理由開示法廷ではA子との性交自体をも否定するかのような虚偽的供述をしていること、公判における詳細な供述は、弁護人を通じて検察官請求証拠の全容を認識してからはじめてなされていることを重視せざるを得ず、軽々しく信用性を肯定することはできない。そして、A子の本件当時の服装やA子がワゴン車内で自発的に全裸になって被告人を挑発したといわんばかりの和姦の態様などの点は、事実に反するか誇張であるとみざるを得ない。

2  A子証言と対比した場合の根幹部分の信用性

しかし、A子の「乙山」での行動や飲酒量などについては、被告人の公判供述の方がA子証言よりも信用性が高いし(前記三参照)、他にも、信用性を否定し難い部分が少なくないことは、これまでの検討によりすでに明らかである。特に、A子がワゴン車内で嘔吐したこと自体は、A子も被告人もこれを認めているのであるが、口説き文句の一つもなく、いきなり暴行を加えられ、嘔吐した直後に姦淫されたというA子証言よりも、性交後にA子がワゴン車(新車)内で嘔吐したことで同女と口論になり、その感情をいたく傷つけるような振舞いをしたという被告人の供述(e)の方が、事態の推移として自然なものとして理解できる。そして、A子証言には、本件に至る経過につき、和姦の可能性を否定する方向へ事実を曲げた部分がある上(前記三、四参照)、その被害状況に関する部分にも、不自然、不合理な点が多いこと(前記五参照)も考慮せざるをえない。

結局、関係証拠を総合して検討すると、A子証言の信用性は低く、本件が和姦であったという被告人の弁解の根幹部分はこれを排斥することが困難というほかないところである。

八  若干の補足説明

1  傷害の成因に関する考察

本件当日に生じたと認められるA子の左下腿部・両側大腿部皮下出血は、ワゴン車内の狭い空間で被告人とA子が(合意の上で)性交したときやその前後に生じる可能性もある。A子は、五月九日尾中医師の診察を受けた際、同医師に対し、最初は「車の中で男の人に殴られたり蹴られたのです」と説明したが、帰るころになると「車の中で男の人ともみあって、そのとき車の中の堅いところに手や足をぶつけたのです」と説明を変えているところ(尾中の警察官調書〔甲13〕)、この変更後の説明がA子の真の記憶に忠実なものであるとも考えられる。また、A子証言においても、駐車場のような場所でいったんワゴン車を下車したことが出て来るが、これはA子にそのような断片的な記憶が残っているからそのように供述したものと窺われ、いったん降りた際の状況が被告人の供述するとおりではないとしても、降りた機会に受傷することも考えられるし、A子の酩酊の程度を考えると、最後にワゴン車から降ろされた後D子方に到着するまでの間に転倒したり、もっと前に「乙山」店内でトイレにいった際などに固いものに大腿部をぶつけたりして受傷した可能性も否定できないというべきである。したがって、前述のとおり、右傷害の成因は不明であるとせざるを得ない。

2  A子が告訴した理由等に関する推論

A子証言の信用性が低いことはすでにみたとおりであるが、それでは、A子が何故にこのように信用性に乏しい証言に終始しているのか、換言すれば、A子が真実は被告人と合意の上で性交したのに、あえて被告人を強姦犯人として告訴し、その旨の証言までするということがありうるか、を念のため検討してみる。

この点については、正確には知る由もないが、有力な可能性の一つとして、次のような経緯を想定することができよう。すなわち、被告人の供述によっても、A子と性交した後に、車内で嘔吐した同女を責め、強引に車外へ引っ張り出そうとしたというのであるから、被告人は同女に対しそのプライドを踏みにじるような無礼な振舞いをし、同女と非常に気まずい別れ方をしたことが明らかである。A子は、別れ際に被告人からこのような仕打ちを受けたことにより、強い屈辱感を抱いたと思われる。そうだとすると、A子の性格からして、被告人に対する怒りを友人等にぶちまけようとするのはごく自然のことであろう。そうする場合に、A子としては、和姦を前提にしては自己のプライドを著しく損なう笑い話にしかならないと考え、本当はかなり深酔いしていたため、断片的な記憶しか残っていないのに、これらを適当につなぎ合わせ、証言のようなストーリーを思い付き、本件直後にまずD子にこれを伝えたのを契機として、次々に友人らに同じような話をし(少なくとも一〇人位に直接被害の話をしている)、友人・知人の協力を求めて被告人に圧力をかけてもらったが、被告人が謝罪等を全くしない一方、周囲の告訴等を勧める動きも強まり、引っ込みがつかなくなり、ついには告訴に及び、その延長線上で真実に反する証言に及んでいるのではないかとも考えられる。

このように、A子が真実に反する告訴等をする理由も、あれこれ想定することが可能であって、少なくとも、検察官が主張するように、A子は真実強姦の被害にあったからこそ、恥ずかしさ等をこらえて、告訴にまで及んだとしか考えられないということはできない。

3  本件の捜査・公判の経過等

すでにみたとおり、本件については和姦の可能性を否定できないのであるから、被告人が本件により、六月二二日に逮捕されてから一七〇日余にわたって身柄を拘束された上、勾留中に健康を害し、保釈後現在に至るまで完全には健康を回復していないなどの多大の苦痛を蒙ったこと、七月一二日の起訴から本判決言渡し(第二四回公判期日)まで一年五か月余の間、精神的にも不安定の状況下に置かれたことは、まことに気の毒であったというほかない。しかし、被告人は、本件当時まで婚約者がありながら、いわゆる軟派を繰り返し、ついにはA子のような女性に遭遇したものであり、A子との性交が真実和姦であったとしても、同女にひどい仕打ちをしたことは被告人も自認するところである。その生活態度や本件当時の行動は芳しくなく、ある意味では、被告人が本件告訴を受け辛酸を舐めたのは、身から出た錆といわれても仕方がないであろう。

そして、このように、起訴され、長期の裁判を受けたについては、被告人の捜査段階での黙秘等が大きな一因になっているのである。すなわち、被告人の父親の証言や検察官調書(甲24)等によると、取調検察官においては、車という密室内での被告人とA子の二人だけが知っている出来事につき、A子だけの供述しか得られず、しかもA子の供述自体から同女に大きな落ち度があることが明らかであり、また、その供述が全面的に信用できるという保障もないと考え、なんとかして被告人の供述が得られないものか、父親の努力によりA子との示談ができないものかと考えて、被告人や父親に語りかけたが、これらの面で進展がみられないのみか、被告人が七月九日の勾留理由開示法廷でA子との性交自体をも否定するかのような一見して信用性に乏しいとみえる弁解をしたので、苦悩のうちに本件起訴に踏み切ったものであろうと推察されるところである。記録中の勾留関係を含む手続書類や被告人の公判供述等によると、被告人は、逮捕されるや直ちにいわゆる当番弁護士を弁護人に選任し、その弁護人の強い勧告に従い、捜査官に対しては終始黙秘権を行使し、勾留質問や勾留理由開示法廷で否認供述をしたものであること、右弁護人は、勾留に対する準抗告申立、勾留期間延長に対する準抗告申立、勾留理由開示請求、警察官のワゴン車等の差押処分に対する準抗告申立を順次行い(各準抗告はいずれも理由がないとして棄却されている)、外見的には精力的に弁護活動をしていることが認められる。しかし、当番弁護士による右のような準抗告の申立は、当時としては全く認容される見通しがなかったものであり、黙秘の勧めを中心とするこのような弁護活動は、当時としては被告人に変な期待を持たせると共に、検察官による公訴提起を招き寄せる効果しか有しなかった、まさしく有害無益なものであったと評せざるを得ない。被告人は起訴後、藤本、佐々木両弁護士を弁護人に選任したのであるが、捜査段階から、本件のような刑事事件の捜査・公判につき的確な見通しを立てることが出来る両弁護士が一人でも弁護人に選任されていたとすれば、本件はこのような帰趨をたどらず、被告人がこれほどの苦痛を受けることもなかったであろうと惜しまれるところである。

九  まとめと結論

1  関係証拠の検討結果の要約

以上の検討結果をまとめると、以下のとおりである。すなわち、被告人から暴行脅迫を受け、ワゴン車内で強姦されたというA子証言は、一見すると具体的であり、本件直後にA子は傷害を負っており、同女から強姦の被害に遭ったことを打ち明けられたというD子証言等によって確実に裏付けられているようにみえる。しかし、検察官がA子証言の客観的裏付けとして主張するA子の受傷状況については、本件の直後、同女の左下腿部、両側大腿部に全治約一週間程度の皮下出血があったことは認められるが、関係証拠を検討しても、これ以外に傷害があったとは認められず、右皮下出血の発生原因も不明とするほかない。関係証拠に照らしつつ、A子証言の信用性を更に検討していくと、A子は自己の人物像を偽って証言していると窺われる上、「乙山」での言動や飲酒量、被告人の車に同乗した理由などについても、和姦の可能性を否定する方向へ事実を曲げた証言をしていると認められる。そして、被害状況に関するA子証言には不自然、不合理な点が多くみられる上、告訴までの経緯にも不自然な点がある。翻って、被告人の公判供述を検討すると、明らかに信用できない部分もあるが、A子証言よりは信用性が高いと認められる部分も少なくないのであって、結局、本件は和姦であるという被告人の弁解を排斥することは困難というほかない。

なお、本件においては、検察官及び弁護人から、以上に個別具体的に検討結果を記したもの以外にも、多数の証拠が提出され、それらの証拠価値等についても、多岐にわたる主張が展開されているが、これらについて検討しても、以上の判断は動かない。

2  結論

結局、本件公訴事実については、和姦ではなかったかという合理的な疑いが残るということになる。なお、公訴事実中の傷害の点については、右眼球結膜下出血は被告人の行為とは無関係に後日生じた疑いがあるし、左下腿・両側大腿皮下出血の発生原因は不明であるから、被告人に傷害罪を認定することもできない。

以上のとおりであって、本件公訴事実については、犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをする。

(裁判長裁判官 安廣文夫 裁判官 中里智美 裁判官 野口佳子)

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